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脳内の旅 #3-1

#3では「矛盾」について書こうと思います。

生きていると多くの「矛盾」と出会います。
皆さんは「矛盾」を感じる事は多いでしょうか?

同じ「矛盾」と言っても、感覚的に感じる「矛盾」と思考的に感じる「矛盾」があると思います。
感覚的な「矛盾」は別の言葉で言うと「違和感」と言うのかもしれません。

私は比較的思考に頼る傾向があります。
周りから理屈っぽいと言われることも多いのがその証拠でしょう。

しかし、思考し理屈っぽくなるきっかけは、感覚的な違和感を多く感じて生きているからだと考えます。
その「違和感」は何故出たのかを思考し、理由を探してしまうから理屈っぽいのだと思います。

さて、今回書こうと思う「矛盾」は周りに対して感じる「矛盾」ではなく、自分自身の「考え」や「意識」そして「行動」に感じる「矛盾」についてです。

最近よく考えることをいくつか上げて行こうと思います。

1.自身の死についての考えと他者の死についてと私の仕事
私自身は自分自身が死ぬことについては全くもって不快な感覚はありません。いつ、どうやって死にたいかも特に考えなくなりました。
寿命の蝋燭でも観ることが出来るなら少しは考えるかもしれませんが、観ることは出来ませんしね…

私はライフワークの様に仕事で労働安全の啓蒙や技術講習会等をしています。何故か自分の周りにいる他者が死ぬことについては非常に大きい不快を感じるのです。

これは大きな矛盾です。

自分はいつ死んでもいいのに、他者には死んで欲しくない。
何故このように思うのでしょうか?

色々考えを巡らせましたが、私自身は「死」と言う事象そのものには不快な感覚がないことは分かりました。これは自分の死であっても他人の死であっても同様で、死ぬこと自体は当たり前の事であると思っているからだと思います。

では何故他者の「死」が不快なのか?
それは「死」という事象が、その後に及ぼす影響に対して多大な不快を感じているのだと考えました。

つまり残された人達に及ぼす負の影響が不快なのだと思います。
私自身の死は私が終わるので、上記を感じる事はない事象としてとらえてます。まさしく死んで終わるのです。

しかし、私の周りにいる他者の死は私にとっては終わりではないのです。

一概に他者といっても色々いると思います。
親、兄弟、祖父母、親戚、配偶者やパートナー、子供、友達、同僚、上司、後輩、仕事の知人、見知らぬ他人…

改めて思い返すと、祖父母が天寿を全うしたであろう「死」には不快感はありませんでした。これは理屈的に考えると、残された人達に及ぼす影響が少なかったのだと思います。
※中にはそうでない方もいるとは思いますが…

私が労働安全などに執着して活動しているのは、労働災害が及ぼす「死」は残された人達にとても大きな負の影響を及ぼすと心の内で確信しているからだと思います。

例えば「飲酒運転による無慈悲な事故」や「常軌を逸した通り魔殺人」、「無差別テロ」などの被害者遺族は、その事故や事件に呪われるようにその後の長きに渡る人生を奪われていると報道等からは感じ取れます。

労働災害も、前述の極端な事故や事件と同様に、遺族や周囲の方達に多くの不快感を残す結果となっているのではないのかと…?

労働における人の「死」には色々なケースがあります。
人が行う所行ですから、当事者本人のミスやエラーで死亡する場合もありますが、多くの事故は管理者の考え方や管理方法、指揮監督者の指揮監督不足、不適切な労働環境が誘因となっているのではと私は推測しています。

仮に私の子供が、労働災害で亡くなり、原因として会社の管理不行き届きが明確な場合、私のその後の人生を賭して、経営者等の関係者を追い詰めていくと思います。

これの考えは私だけでしょうか?多くの方が同様の考えだとしたら本当に不幸の連鎖が起こってしまうと…

だから私は自分の「死」には不快がないにも関わらず、他者の不慮の死を減らすべく活動しているのだという考えに至りました。

ここ数年この活動を続けて来ましたが、昨今は私と私の周囲との間で「矛盾」「違和感」を感じる事も多く、改めてこの点については整理して行かなくてはならないと思っています。

次回もこの続きをで別に感じる「矛盾」を書きたいと思います。

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脳内の旅 #2

みなさんこんにちは#1から少し空きました。


#1では「教育」と題して持論を書きました。もう少し書きたいこともありますが、それはまた後ほどにしたいと思います。

#2では「人との関わり合い」、つまり対人関係について書いて行きます。

人間として社会生活をして行く上で、他者との関わりを避けて生きていくことは困難で、多くの時間を対人関係構築に使います。

現在「サピエンス全史」という著書を読んでいます。
※「サピエンス全史 上・下」著者ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之

私達、「ホモ・サピエンス」と言う人類の歴史をまとめた著書で、とても興味深い内容が多く読み進めています。

サピエンスという種が現在の地位に君臨するに至ったのは、他の種と比べ、高度な社会性を持ったことが一番の理由だったのだと知りました。

つまり、私達は人との関わりを持つ事が生きていく上で必須の条件なのです。

そこでみなさんに質問です。
皆さんは自分と関わりを持つ人をどうやって選んでいますか?
…すべてウエルカムですか?
…それとも付き合う人をチョイスしていますか?

私はチョイスしています。
おそらく多くの方も同様の回答ではないかと…。

チョイスする事は前提として話しを進めますが、そこで人それぞれ回答が大きく分岐するのは、どう「選んで」いるのか?かということです。

「選ぶ基準」や「継続する基準」そして「切り捨てる基準」。
これは人それぞれ違うでしょう。

人との付き合いを「感覚:フィーリング」でする方もいれば「頭で考えて」する方もいるでしょう?

私自身、どちらもありますが、どちらかといえば後者「頭で考えて」選んでいると思います。

私が「選ぶ基準」はなんなのか?
1.絶対的に興味を持てる人
2.合理的思考を持ち合わせている人
3.私に興味を持っている人

「継続する基準」
1.約束を守る意思のある人
2.自ら考え行動できる人
3.私の時間を無意味に奪わない人
4.話しの前後を理解できる人
5.立場上切り捨てる事が合理的でない人

「切り捨てる基準」
1.嘘つき
2.言い訳がましい人
3.私の時間を過度に奪う人
4.私が面白みを感じない人

ざっと思いつくもを書きましたが、実際はもっとあるのかもしれません。
どうですか?わがまま自己中心的な人だと思いますか?

色々と書きましたが、一言でまとめると「時間」です。

私が最も重きを置いているのは「私の時間」です。
日常生活、仕事をしている上で大事なものはと聞かれると、前述の様に色々出てくると思いますが、結局「時間」です。

私は自信の時間を奪われることが本当に嫌いです。
私が私である為の絶対条件は「私の時間の使い方」を私が決められる事です。

過去から現在に至るまで、重大な処罰や刑の多くは対象者の時間を奪うことで成立させています。
奴隷制、禁固刑、死刑。これすべて対象者が自由に使える時間を権力者が奪う事を目的としていると思います。

では、私も含めた皆さんの日常はどうですか?
他者に時間を奪われていませんか?
仕事はどうでしょうか?

例えば仕事をする上で、「他人の指示でしか動かない人」や「働かされているという意識が強い人」などは完全に他者に時間を奪われています。

自ら能動的に仕事に参画している人は「自分の為に時間を使っている人」なのだと思います。

同じロケーションでも異なりますね。

といった具合で、私は「自分の時間」を大切に使えない事を容認している人とは付き合うだけ「私の時間」の無駄遣いと思ってしまうのです。

また少し長くなってしまいました。

おそらく、私にもあなたにも「限りある時間」が付与されています。
与えられている時間が「長い人」も「短い人」もいます。
カウントダウンの表示は誰にも見ることが出来ません。

だから、人とのつながりを持つ事が必須な私達は「自分の時間」と「他者の時間」の両方を大切に思う気持ちが必要なのだと思います。
「他人の悪口」や「足の引っ張り合い」、「無策な経営者」、「あり得ない嘘」などで他者の時間を奪うことは絶対に認めたくありません。

「自分の時間」を大切にすること、それはつまり他者への最大の敬意なのだと思います。

今日はここまでとします。

また次回テーマを決めて書いていきたいと思います…



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脳内の旅 #1-2

さ~前回から「脳内の旅」と銘打って新シリーズを書き始めました。

とりあえず最初のテーマは「教育」。

「教育」というテーマについて私が書くのもいかがなものかと思います。書いている内容に賛否もあるでしょう。

私自身、世間一般でいう「教育者」からはほど遠い存在であることは、約20年近くに及ぶ子育て、会社を設立してからの従業員との向き合い方、ここ数年間の講習事業で自覚しています。

おそらく向いていないのでしょう…、とも自覚しています。

しかし、#1-1の書いた通り、私の思う「教育」は「きっかけ」を作ること。「きっかけ」が作れる人が少しでもいれば良いと思うのでしばらく続けてみます。

さてさて、前段はここまでにして#1-2では「私の講習」をテーマに書いていこうかと思います。

私は講習事業に関わり始めてすでに5年近くが経ちました。
開始した当初から今に至るまで、私自身の考え方や教える手法も変化してきています。

私が行っている講習は、ロープアクセス技術を習得し海外のライセンスを取得することを目的としたものです。

もちろん受講者の方も技術を教わりに来ています。

開始当初は私自身も未熟でリーダートレーナーのA氏アドバイスもらいながら、自身の技術的スキルのブラッシュアップをしていました。

受講者にも、あーだ、こーだと技術を教える事に終始していましたね。

しかし、講習会の回数を重ねて行くうちに、得も言われぬ違和感が出てきました。

安全に作業を行う技術を教える事はとても重要な事である…けど。

別シリーズで書きましたが、私のビジネスパートナーA氏はオーストラリアの方です。彼が海外籍の人間であることもあり、私達の施設には海外からの受講者が時々来ます。

私は人をカテゴリーで大別する事はあまり好きではないのですが、やはり海外の方と日本の方では物事の考え方や捉え方に大きな違いがあると言わざる得ないと思っています。

これは今回のテーマである「教育」と深く関わりがあると思います。過去受けてきた教育方法や概念が違う為、そこから形成される思考にも違いが出るのだと思います。

別にどちらが良いと言う話しではありませんが、私達の仕事では外国人的思考が必要なシーンが多いのではないかと思っています。

少し話しがそれたので戻します。

私が関わる受講者の多くには”何故?”がないのです。
良い言い方をするなら”素直”なのだと思います。

しかし、安全を確保して行く上で、”何故?”と考える思考回路はとても重要なのです。

自身で感じた”何故?”の理由を考え、解決策を調べ、解決する。これがとても重要なのです。日本語的に言うと”腑に落ちる”が近いかと思います。

多くの方が”腑に落ちる”と言う作業行わないまま、実務経験を積んでいる気がします。

私はこれを何とか解決したいと思い、講習で話す内容や伝える手法を色々試しています。

ある程度重要な事を話し、その後質問をします。何かしらの返答があったら、「何故そう思ったのか?」と聞くようにしています。

この作業はその人を水辺まで連れて行く作業。水を見せ、生物に取っての水の重要性を話し、問いかける。
ここまでが私の仕事。

そこから、水の重要性を勉強し、そして飲む。
これはその人の課題。

水を飲まない人、汚いままの水を飲む人、水を煮沸して飲む人。
おそらく色んなパターンが出てくると思いますが、ここは私が手を入れる領域の外。こんな感じで考えています。

だいぶ話しが長くなって来てしまいました。
続きは次回にしたいと思います。

最後に
水の飲まないと死んじゃうよ…
汚い水飲むとお腹壊すよ…

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脳内の旅 #1

新しいテーマで何を書こうか…。

考え方や行動が変わっていると言われることが時々ある…自分としては当たり前だと思っている発言や行動に限って色々と言われることも度々。

実は社会不適合者なのかもと考えることもしばしばありますね~。

さて、みなさんこんにちは。

と前述の通り、正直何を書くかが定まっていませんが、自分の”思い”や”考え”などがどうなっているのか、なぜ人から変わっているといわれるのかを探るため、脳内の旅しながら都度テーマを決めて書いて行こうかと思います。

#1のテーマは「教育」。

#1-1 私の「教育」と「ビジネス」の関係

教育といっても様々ありますが、まずは私の思う教育とビジネスの繋がりなどについて書いていこうと思います。

私自身の環境で言うと、「子供」「従業員」「講習会の参加者」「仕事仲間」「顧客」と教育の対象は多岐に渡ります。

私が対象者に対して行う教育の基本スタンスは「きっかけの付与」です。要は「ヒント」を与えることと考えています。

細かな内容を手取り足取り教えるという概念はありません。

細かいことを教える場合の感覚としては自分の持っている情報を信頼する仲間にシェアする感覚です。

もちろんシェアですので、自分にとって”利”があるかは考え、”利”があるなら情報はシェアします。周りからは私の活動が”公”のものと見えているかもしれませんが、私の脳内はおそらく”密室”です。

根っこにある考えとしては、大人(社会人)になって教育してもらうなんてありえないという考えがあります。

基本的に情報を得るには対価を支払うべきだと思っているので、会社に勤めて給料もらって、先輩や上司から教えて貰おうなんて愚の骨頂。

基本は自分で”学ぶ”。が当たり前だと思っています。

とは言っても、「知らないという事を知ること」は誰も出来ません。

だから、子供には生きていくの必要なヒントを与え、学びの入口までは連れていく必要があります。ここまでが私の役目だと…。

そこから先に自分自身で進む人は進んで行くし、進まない人もいます。

進む道を選び、自身での”学び”を開始した人に対して私は情報のシェアをします。

これは、受講料をもらって行う講習会でも同様。私が講習会で話しているのは、大枠の考え方や安全に関する概念などが中心です。細かい技術を教わりたいと思って来た人にとってはつまらない講習なのかもしれません。

しかし、私がこの数年間ロープアクセスの講習を行って感じていることは、旧来の風土や慣習に不平がありつつも全くアクションを起こすことの出来ない人達が多いことです。

とりあえず、自身の環境に違和感を感じ、高い金出して資格取りに来るとことまでは良いとしましょう。問題はそのあと。
資格も取ったし簡単に給料上がると思ってたけど、中々上がらない現実ぶつかり、結局、愚痴言って、出来ない理由を探して、元鞘に戻る。

時々お前はどうなの?と聞かれます。

私自身は会社を作って10年経つけど、ずーーーーーっとアクション取り続けて、創業当初に比べ良くなっている部分はあるけど、結局新たな課題がみつかる、を繰り返しているのでゴールは見えないですね。と答えてます。

私は本音と建前の使い分けが本当に苦手です。顧客とのやり取りではずーっと苦戦しています。
周りとの軋轢を生む大きな原因にもなっているのだと感じます。

ただ数年前に基本的なビジネススタンスを決めてからは楽になりました。まずは顧客の教育と説得をやめました。

どうしても「うちの会社に依頼したい」という仕事や顧客のみを相手にすることにしました。
3社相見積もりでと言われた瞬間、その仕事は断ります。

「何を偉そうに」と思われるかもしれません。しかし、経験上相見積もりで安い業者の選定を続けている会社との取引は、私たちの安全が担保できなことが多いのです。

私たちのビジネスは顧客や元請けに協力してもらうことが必須なのです。俗にいう下請け丸投げ構造では、安全確保が難しいことも多く、対等な立場でビジネスパートナーとなる必要があると思っています。

なので、教え説得しないとどうにもならない会社は相手にせず、水飲み場まで連れて行けば、そのあと建設的な議論が出来る相手をビジネス相手にすることしました。

最後になぜ上述のような考えに至ったかのか、いくつか持論を列挙して今回は終わりたいと思います。

1.自分の課題と他人の課題を分けろ。そして他人の課題に土足で踏み込むな。
2.口だけのやつを相手にするのは時間の無駄。
3.情報が欲しければ、気に入られて盗むか、買え。
4.出来ない理由探す時間があるなら、出来る方法を考えろ。
5.馬鹿なやつは自分で動けない。
6.馬鹿に行う教育は本当に時間の無駄。

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そもそも俺はだれ?第5話【最終話】

みなさんこんにちは。

しばらく時間が空いてしまいました。前回からの続きを書こうと思います。

前回最後に会社を買うかどうかのところで話しを終わっていました。

結果を先にご報告します。会社は買い取りました。

決断理由は色々とありましたが、最後はとある方の一言アドバイスが後押しとなりました。

「苅谷君の悩んでる細かい事情は大したことないね~。」という言葉…。本当にその通りだなぁ~と感じました。

ここまで、頑張って来たものを潰すには、あまりに小さい悩みだと感じ、会社購入を決めるに至りました。

さて、決めたはいいが、ここから問題が発生!

2019年12月に会社を買う決断をしましたが、ここからが大変でしたね~。

そうです、コロナウイルス感染拡大スタートです。

会社購入を決めて、金額を含めた交渉を進め始めた矢先、コロナウイルス感染が世界中で広まり始めたのです。

正直もう引くことも出来ません(>_<)

交渉を進める中、2020年2月の講習会は実施し、3月も…。

かろうじて3月の講習会は完了出来ましたが、冷や汗の連続でしたね~。

私が行っている講習会には最終日に試験があります。資格のルールは厳格で第3者の試験官による試験実施が必須となります。

現状、日本人で試験官のライセンスまで到達出来ている人がいないため、海外から試験官を招聘しなくてはならないのです。

2020年3月のコースはシンガポールから試験官を招聘を決めスタートしましたが、コース初日に試験官からシンガポールがロックダウンして国外に出れないと連絡があり、冷や汗。

そこから来てくれる試験官探しをしながら、トレーニングは進む、冷や汗。

結局3日目にアメリカから試験官が来てくれる事になり、無事最終日まで完了出来ました。

その後、多くの国で国境が封鎖され、講習会の開催自体が出来なくなりました。もちろん今もこの状況は続いています。

話しは戻ります。

上記の状況で会社を買う交渉は進んでいました。

条件を決め、契約書を作成し、オーストラリアに向けて書類を発送しました。無事届いて、複数のオーナーからサインをもらい、最後サインをした方から日本に向けて書類を返送してもらいました。

はぁぁ、待てど暮らせど書類は届きません。

郵便の空輸は閉鎖され、船便へ変更。船便でも全然届かず、さらに追跡もほぼ出来ず。

結局書類が私の手元に届いたのは発送から2ヶ月半近く経っていました。ようやく会社登記に必要な書類も揃い、2020年5月に権利移転が出来ました。

移転は完了したが、営業は停止状態。今に至ります(笑)

と言うことで、現状会社購入が良かったのか悪かったのか全く判断出来ていません。

ここまで話して来た会社とは別で運営している現場作業コロナかでもコロナ渦でも順調に活動しています。

これは唯一の救いです。

と、ここまでの私の変遷を書いてきました。

読んで頂いた方がどれだけいるかはよく分かりませんが、私の人生に興味を持って頂きありがとうございます。

自身に残された時間は有限なので、有意義に時間を使いたいと思います!

ご購読ありがとうございました!

次回は新しいシーズンに突入します!

こうご期待!!

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「ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ」(フジテレビ系列)にも出演したマラドーナものまね芸人・ディエゴさんとYouTube動画でコラボさせて頂きました!

「ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ」(フジテレビ系列)にも出演したマラドーナものまね芸人・ディエゴさんとYouTube動画でコラボさせて頂きました!

ディエゴさんのYouTubeチャンネル「ディエゴの一生夏休み」に出演しています!

先日公開となった1本目に続き、本日20時に2本目が公開となりました!

さてさて、ディエゴさんは「高所からの決死のダイブ!?」出来るのでしょうかWW

是非ご視聴、「いいね!」「チャンネル登録」お願い致しま~す!!

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YouTubeチャンネル「ディエゴの一生夏休み」に出演しました!!

お笑い芸人の「ディエゴさん(吉本興業(株)所属」が弊社トレーニングセンターに来て頂きました!

ディエゴさんが運営するYouTubeチャンネル「ディエゴの一生夏休み」のチャレンジ企画です!

ディエゴさんにはロープアクセスを体験を通して、私達がプロフェッショナルとして提供している、高所作業業界の実情や現実を知って頂く事を目的としてのコラボです!

高所作業に関わる方達だけでなく、多くの方に私達の仕事を知って頂くきっかけになればいいと思います!!

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芸人ディエゴさんロープアクセスチャレンジ!!

久しぶりの投稿とですね~(゚▽゚*)

昨日(2021年5月5日)に弊社トレーニングセンターへ芸人ディエゴさんに来て頂きました!

今回はディエゴさんに私達の仕事や業界について知って頂く事を目的に座学・実技、そしてVRを使った墜落体験等色々チャレンジして頂きました~(*^▽^*)

驚くほどに真面目な方でしたW

座学では多くの質問をして頂き、端折る予定の話しがめちゃくちゃ長くなってしまいましたね~。

ディエゴさんは高所恐怖症と伺い、不安な状況でスタートしましたが、私達の作業方法が安全だと言うことをご理解頂き、果敢にチャレンジをして頂けました!

ディエゴさんのポッコリお腹のせいもあり、なかなかキツいチャレンジだったと思いますが、精一杯チャレンジして頂き、感謝致します!

現在は撮影したディエゴさんのチャレンジをスタッフの方が編集をしてくれています。

完成次第ディエゴさんのYouTubeチャンネル「ディエゴの一生夏休み」でアップされると思います!!

是非ご視聴ください!私もかなり映っていると思いますよ~W

「ディエゴの一生夏休み」↓↓↓

https://www.youtube.com/channel/UCs2zEusxu5r7eyh7cJkZrRg

是非チャンネル登録をお願いしま~す!

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そもそも俺はだれ?第4話

高所作業研究室のKENです。

ここまで、過去の恥さらしも含めとりあえず、自分の記憶をたどって書いてきました。

人間とは不思議なもので、良いことも悪いことも自分の都合のいいように記憶を改ざんしている可能性はあります。

これは自分自身のことでもですよ!

と言うことは、人から聞いた話しやネットで得た情報などはより顕著に記憶の改ざんが起きていると思います。

あなたは、『ある人』の噂を人から聞いて、会ったこともないのに嫌いになったことはありませんか?

書き出す前に皆さんに聞きます。

あなたにとって『事実』、『真実』とはなんでしょうか?

あなたは『主観』と『客観』、どちらのウエイトが大きいですか?

と言う前振りをして、前回の続きを書いていきます。

前回最後に書いた通り、私は会社4期目に入り、自身にとっては『波』と思える出来事がやって来ました。

より深くIRATAについて学びたい、自身でトレーニング出来る環境を作りたいと思っているタイミングでした。

IRATAに関わって来て約5年が経過していましたが、私の疑問や質問に対してまともに答えを持っている人は身の回りにはいませんでした。

『口ばっかりの人』や『知識もないのに騒いでる人』。『実務経験もないのに偉そうな人』。『秘密主義な人』。様々ですね。

公の資格なのに不思議な現象だと思っていたのですが、自身が深く関わるようになって気付いたのは、私が関わって来た人のほとんどは『何も知らないのに、何も知らないことに気づいていない人』達ばかりだったことです。

私を取り巻く人達の多くは『先生』、『師匠』、『神』と呼び浸水していたように思えます。尊敬の念を持って接する事はとても大事な事だと思いますが、自分より少し前を走っている人を疑うこともなく崇めることに私は大きな違和感があり反発していたのかも知れません。

そんな中、Aさんは私にとっては、すべての答えを持っている人でした。

そんな人と一緒に仕事が出来る可能性は私にとってはとても魅力があったのは事実です。

不動産探しを契機に、Aさんとの距離感が縮まったことは正直チャンスだと思い、意図的に周辺に多くを語らず動いていました。

結果、不動産が見つかり一気に物事が動き始めた事に私は身を任せて、すべて自己判断として進めました。

これがまずかった~。ネゴシエーション不足っすね~。

Aさんの周辺を取り巻く人間関係の輪からとんでもなく大きなバッシングを受ける事になってしました~W

『裏切り者』、『あいつはいいとこ取りする気だ』、『誰にも相談せずに勝手にやりやがって』などと言われていたのではないでしょうか?

直接言いに来る人はあまりいないので、多くは想像の域ですがW

結果、私とAさんで立ち上げた施設には古い仲間は誰も立ち寄ることもなく、『あの施設に行ったら縁を切る』と言われた人もいたようです。

私の悪い評判は瞬く間に拡がって行きましたね~。

とにかく会ったことも無い人に嫌われていたり、もともとの知り合いに遠ざけられたりと色々ありました。

この出来事で反省すべきことはありました。

しかし、あくまでビジネスチャンス、加えて自身の抱える課題の突破の為のチャレンジとして関係者に相談せずに決断したことについては後悔はありません。

いま思うと、狭い輪の中でして、皆の顔色を気にしながらやりたいことを進める事に違和感があったのだと思います。

この出来事を気に数年間ある意味周りの声を気にせず、自分の学びたいことに集中して時間をさけたのだと感じています。

Aさんと仕事を始めて3年ほどはとにかくインストラクターになるためトレーナーとしての基礎を学ぶこと、今まで疑問に思っていたことの解消に努める時間でした。

そんな中、とあることをきっかけに安全作業に対し、潔癖症になっていくこととなります。

とある”ロープ作業中の死亡事故”が身近で起こったことがきっかけです。

うちの会社に手伝いに来てもらっている外注さんの知り合い(30代半ばの方)がマンションの11Fからロープ作業中に転落して亡くなってしまったという事故です。

本当に悲しい事故です。

この事故をきっかけに、私は講習中にスライドで見せている年間死亡事故人数●●人が数字ではなく、『ひと』になってしまったのです。

いままではただの数字でした。特に顔は見えない…毎年同じような数字…。

これをきっかけに不安全な作業をしている人やさせている会社などを敵視して行く事になっていきます。

正直、『死にたいなら死ねば』、『社長がそのレベルの知識なら死亡事故は殺人だな』とすら思っていました。

上記のきっかけになった死亡事故の作業員の方が勤めている会社の社長にお会いする機会がその後ありましたが、信じられないくらいの罵声を浴びせてしまいました。

この時は自分にとっては”善”だったのだと思いますが、本当に失礼な事をしました。その社長さんも当該事故で相当苦しまれたはずなのに…その気持ちに何一つ寄り添うことも出来ず、私が出来る協力もすべて放棄する対応だったと後悔しています。

“善”と”悪”は本当に難しい。視野の狭さが招いた結果だと思いますが恐怖します。

こうして、しばらく潔癖症が続き、本来自分が目指す大きな方向から外れて時間を過ごす結果となってしまいました。

Aさんと講習業を始め約3年がたったころ、私も正式にインストラクターの資格も取得出来、講習の開催も私一人で運営するまでになっていました。

正直、Aさんにも私をビジネスパートナーにしたことで色々と苦労を掛けたと思います。

Aさんには何度も謝り、相談して来ました。

しかし彼は一度も私を責めること咎めることもありませんでした。20歳も年が離れた私をいちパートナーとして尊敬してくれ、いつも暖かい言葉をかけてくれました。

彼は私を友人だと言ってくれました。これは本当に嬉しい言葉でした。

私達の事業は当初から収益性がかなり厳しいと分かっていました。何とか集客し、採算を合わせる努力のに必死でしたが、やはり想定していた通り事業は赤字の一途をたどります。

私がようやく一人で講習を完結出来るところまで来て、やっと採算ベースが合わせられる可能性が見え、より集客に力を入れようと動いていた矢先、私以外の外国人オーナーから事業撤退を検討したいとう話しが上がりました。

それが昨年春先の話しです。

色々と話し合いました。私もこれ以上大きな金額を個人出資出来ない状況もあり、正直会社閉鎖へ話しは進んでいました。

そんな時、一人のオーナーから会社を買わないかとのオファー。

正直その選択は全く考えていませんでした。

IRATA事業を継続して行きたいという思いはありましたが、会社の状態も良くなく、運営全般のノウハウもなかったので即決することは出来ず、話しはペンディングとさせてもらいました。

ここからです。私のさらなる迷走が始まりましたね~。

何とかしなきゃとと思い、Youtubeセミナーに行ったり、オンラインサロンに入ったりと右往左往しまくることになります。

右往左往したけど、結局会社を買う決断までは出来ませんでした。

秋に入り、とりあえず募集してしまっていた講習を2回ほど開催しました。

そして、12月に私の決断を促すことになる出来事が!

今日はここまでにします。

次回で最終とします。

読んでくれてありがとうございました。

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そもそも俺はだれ?第3話

高所作業研究室の室長のKENです。

自分の人生の出来事を振り返り書いて来ました。こんなの読む人いるんかいと思いつつ、結構あからさまに出来事を書きました。

不思議な事に読んでくれる人いるんですね~。

他者の出来事に心を寄せる…私は苦手な分野なので、読んで前向きなコメントをしてくれる方達を本当に尊敬します。

私なら思わずひねくれたコメント書いてしまいそ~W

さて、今回は独立からの約4年間の出来事を思い出して行きます。。

起業して3年間は色々とありました。

起業して最初の年には、3名の仲間が増え、その後も2名増員と3年目までに計6名体勢で仕事をすることとなりました。

起業直後で何とか軌道に乗せないとなりふり構わず仕事を受注し進めていました。

結果、もろにはまった落とし穴。

起業して必死の私と働くみんなの間の心持ちの違い。

働くみんなにとっては、会社が起業直後かどうかで不安定かは正直関係なかったのだと思います。

毎日、慣れた仕事をし、ある程度の収入がみえる。これで良かったのだと感じました。

この考えや感覚については否定はしませんが、私自身では未だに腑に落ちるほどの理解が出来ない考え、感覚です。

話しがそれましたが、新しい事や新しい仕事にチャレンジをし続けようとする私と、従業員との考えの違いは、日を重ねるごとに開いて行っていると感じながら毎日を過ごしていました。

当時の私は考えが違うなら違うでしょうがない。辞めたいなら辞めればいいと思いながら、接していたと思います。

当たり前のように、来るべき時は来ます。

小さい会社ではよくある2番手(番頭)の子との決別です。

番頭の子との関係性は元々なんとも言えない複雑さがあったので、色々と解決せずに後回しにしたことが一番の原因でしょう。

辞める事が決まったので、それまでお仕事をだして頂いていた客先に彼を連れて挨拶と事情説明にいき、彼が担当していた現場を彼が勤めるの新しい会社に引き継ぐか、うちで継続して対応するかを決めて頂く相談をして回りました。

結果、一つの部門ごとほぼ彼の新会社に引き継ぐこととし話しが収束に向かいます。

私としては彼と彼に付いていくことを決めた数名の当面の仕事を渡してあげれたので、この退職劇の不安要素は少し減ったと、ほっとしたのを覚えています。

4名が連なるように退社したことについては色々と考えました。

最初は辞めたいなら辞めればいいし、辞める奴が悪いとさえ思って、この退職劇に向き合ってました。

しかし、途中から彼らがやる気をもって楽しく働く環境を作って来れなかった私に大きな非があると感じていました。しかし事はすでに手遅れだったので、少しでも彼らのダメージが減ればと思い動いてました。

何がダメだったのかを色々と悩みましたね~。

しかし、未だにはっきりした答えは出ていません。

ただ、この退職劇を期に私に出来る事、私の役割については精一杯やると決めて動き出したのは間違いないです。

スタイルとしては、「馬を水辺に連れて行くことは出来るが、水を強制的に飲ませることは出来ない。」

水辺に連れて行き、水がおいしいよ!と伝える所までが、「私の仕事」だと決めています。

4期目は2名体勢で新たにスタートすることになりました。

タイミングとは面白いもので、スマートになったらなったなりに面白いチャンスがくるのです。

4期目をスタートしてまもなく、以前の勤め先に在籍時に取得したロープアクセスの海外ライセンス「IRATA」事業に関わるチャンスが巡ってきました。

前職を退職後もIRATA資格の重要性を大事に思っていました。

自身も上のレベルにステップアップし、従業員や外注さん達にも取得をさせて来ました。

自身ではIRATA事業が出来るスキルがなかったので、他の会社が運営しているIRATAトレーニングに参加し継続していました。

まだまだ資格保持者が多い資格ではないですが、初期の頃からかなり熱心にこの資格に関わって来ていた方だと思います。

もちろん、数名かなり懇意にしている人達もいて、一緒に仕事をしたり、トレーニングをしたりとかなり密にお付き合いさせてもらっていました。

このIRATAと資格を日本に持ち混んだのは、オーストラリア人のAさんです。※個人名は出せませんので通称”Aさん”とします。

Aさんは日本でこのライセンスに興味のある会社とコンサル契約を結び、トレーニングのノウハウから、IRATA協会登録会社になるまでのサポートをしてきました。

私の前職の会社が彼のコンサル先第1号でした。数年掛けて会社登録出来るところまでサポートし、晴れて登録が出来たら、次のコンサル先を探すという流れでしたね~。

1社目は無事卒業し、2社目。2社目は関西方面の会社さんでした。

私もこの2社目の会社様にはお世話になり、ステップアップの講習を受けたり、仕事に呼んで頂いて勉強させてもらいました。

2社目の会社様も約3年程度の時間を掛けて無事卒業となりました。

そこでAさんは次のコンサル先を探すか、自身で法人を立ち上げ日本でIRATA事業をやるか模索していました。

場所、費用、人員等の色々と問題があるなかで、私も相談を受ける輪の中にいました。

私は元々不動産の会社で働いていましたので、施設探しなら手伝えるので、物件探しや内見などを手伝うことになりました。

早々に見つからず、しばらく時は過ぎました。

そんなある日、すべての条件を満たす物件が!

内見し、写真と図面を送ると、Aさんはすぐに申込みをしてくれと!

おーおーおー、本人オーストラリアで、日本で法人設立も出来ていないのに~W

まぁ、参りましたよね~。結局法人設立待っていられないので、私がやっている会社でとりあえず借りることとしました。

これが、日本IRATA業界で巻き起こる、私の『大炎上物語』のスタートW

「出る杭は打たれる」。まさしくこの言葉でしたね。

と長くなりました。疲れて来たので次回に持ち越しま~す。