高所作業研究室のKENです。
ここまで、過去の恥さらしも含めとりあえず、自分の記憶をたどって書いてきました。
人間とは不思議なもので、良いことも悪いことも自分の都合のいいように記憶を改ざんしている可能性はあります。
これは自分自身のことでもですよ!
と言うことは、人から聞いた話しやネットで得た情報などはより顕著に記憶の改ざんが起きていると思います。
あなたは、『ある人』の噂を人から聞いて、会ったこともないのに嫌いになったことはありませんか?
書き出す前に皆さんに聞きます。
あなたにとって『事実』、『真実』とはなんでしょうか?
あなたは『主観』と『客観』、どちらのウエイトが大きいですか?
と言う前振りをして、前回の続きを書いていきます。
前回最後に書いた通り、私は会社4期目に入り、自身にとっては『波』と思える出来事がやって来ました。
より深くIRATAについて学びたい、自身でトレーニング出来る環境を作りたいと思っているタイミングでした。
IRATAに関わって来て約5年が経過していましたが、私の疑問や質問に対してまともに答えを持っている人は身の回りにはいませんでした。
『口ばっかりの人』や『知識もないのに騒いでる人』。『実務経験もないのに偉そうな人』。『秘密主義な人』。様々ですね。
公の資格なのに不思議な現象だと思っていたのですが、自身が深く関わるようになって気付いたのは、私が関わって来た人のほとんどは『何も知らないのに、何も知らないことに気づいていない人』達ばかりだったことです。
私を取り巻く人達の多くは『先生』、『師匠』、『神』と呼び浸水していたように思えます。尊敬の念を持って接する事はとても大事な事だと思いますが、自分より少し前を走っている人を疑うこともなく崇めることに私は大きな違和感があり反発していたのかも知れません。
そんな中、Aさんは私にとっては、すべての答えを持っている人でした。
そんな人と一緒に仕事が出来る可能性は私にとってはとても魅力があったのは事実です。
不動産探しを契機に、Aさんとの距離感が縮まったことは正直チャンスだと思い、意図的に周辺に多くを語らず動いていました。
結果、不動産が見つかり一気に物事が動き始めた事に私は身を任せて、すべて自己判断として進めました。
これがまずかった~。ネゴシエーション不足っすね~。
Aさんの周辺を取り巻く人間関係の輪からとんでもなく大きなバッシングを受ける事になってしました~W
『裏切り者』、『あいつはいいとこ取りする気だ』、『誰にも相談せずに勝手にやりやがって』などと言われていたのではないでしょうか?
直接言いに来る人はあまりいないので、多くは想像の域ですがW
結果、私とAさんで立ち上げた施設には古い仲間は誰も立ち寄ることもなく、『あの施設に行ったら縁を切る』と言われた人もいたようです。
私の悪い評判は瞬く間に拡がって行きましたね~。
とにかく会ったことも無い人に嫌われていたり、もともとの知り合いに遠ざけられたりと色々ありました。
この出来事で反省すべきことはありました。
しかし、あくまでビジネスチャンス、加えて自身の抱える課題の突破の為のチャレンジとして関係者に相談せずに決断したことについては後悔はありません。
いま思うと、狭い輪の中でして、皆の顔色を気にしながらやりたいことを進める事に違和感があったのだと思います。
この出来事を気に数年間ある意味周りの声を気にせず、自分の学びたいことに集中して時間をさけたのだと感じています。
Aさんと仕事を始めて3年ほどはとにかくインストラクターになるためトレーナーとしての基礎を学ぶこと、今まで疑問に思っていたことの解消に努める時間でした。
そんな中、とあることをきっかけに安全作業に対し、潔癖症になっていくこととなります。
とある”ロープ作業中の死亡事故”が身近で起こったことがきっかけです。
うちの会社に手伝いに来てもらっている外注さんの知り合い(30代半ばの方)がマンションの11Fからロープ作業中に転落して亡くなってしまったという事故です。
本当に悲しい事故です。
この事故をきっかけに、私は講習中にスライドで見せている年間死亡事故人数●●人が数字ではなく、『ひと』になってしまったのです。
いままではただの数字でした。特に顔は見えない…毎年同じような数字…。
これをきっかけに不安全な作業をしている人やさせている会社などを敵視して行く事になっていきます。
正直、『死にたいなら死ねば』、『社長がそのレベルの知識なら死亡事故は殺人だな』とすら思っていました。
上記のきっかけになった死亡事故の作業員の方が勤めている会社の社長にお会いする機会がその後ありましたが、信じられないくらいの罵声を浴びせてしまいました。
この時は自分にとっては”善”だったのだと思いますが、本当に失礼な事をしました。その社長さんも当該事故で相当苦しまれたはずなのに…その気持ちに何一つ寄り添うことも出来ず、私が出来る協力もすべて放棄する対応だったと後悔しています。
“善”と”悪”は本当に難しい。視野の狭さが招いた結果だと思いますが恐怖します。
こうして、しばらく潔癖症が続き、本来自分が目指す大きな方向から外れて時間を過ごす結果となってしまいました。
Aさんと講習業を始め約3年がたったころ、私も正式にインストラクターの資格も取得出来、講習の開催も私一人で運営するまでになっていました。
正直、Aさんにも私をビジネスパートナーにしたことで色々と苦労を掛けたと思います。
Aさんには何度も謝り、相談して来ました。
しかし彼は一度も私を責めること咎めることもありませんでした。20歳も年が離れた私をいちパートナーとして尊敬してくれ、いつも暖かい言葉をかけてくれました。
彼は私を友人だと言ってくれました。これは本当に嬉しい言葉でした。
私達の事業は当初から収益性がかなり厳しいと分かっていました。何とか集客し、採算を合わせる努力のに必死でしたが、やはり想定していた通り事業は赤字の一途をたどります。
私がようやく一人で講習を完結出来るところまで来て、やっと採算ベースが合わせられる可能性が見え、より集客に力を入れようと動いていた矢先、私以外の外国人オーナーから事業撤退を検討したいとう話しが上がりました。
それが昨年春先の話しです。
色々と話し合いました。私もこれ以上大きな金額を個人出資出来ない状況もあり、正直会社閉鎖へ話しは進んでいました。
そんな時、一人のオーナーから会社を買わないかとのオファー。
正直その選択は全く考えていませんでした。
IRATA事業を継続して行きたいという思いはありましたが、会社の状態も良くなく、運営全般のノウハウもなかったので即決することは出来ず、話しはペンディングとさせてもらいました。
ここからです。私のさらなる迷走が始まりましたね~。
何とかしなきゃとと思い、Youtubeセミナーに行ったり、オンラインサロンに入ったりと右往左往しまくることになります。
右往左往したけど、結局会社を買う決断までは出来ませんでした。
秋に入り、とりあえず募集してしまっていた講習を2回ほど開催しました。
そして、12月に私の決断を促すことになる出来事が!
今日はここまでにします。
次回で最終とします。
読んでくれてありがとうございました。